2022.12.09
Part1 "世界栄養学界の先駆者 佐伯矩先生のこと" 雑誌『日本食生活』より
昭和32年8月25日発行『日本食生活』財団法人日本食生活協会 には、特集〈栄養春秋〉◆世界栄養学界の先駆者 佐伯矩先生のこと・・・・・として、掲載されていましたのでご紹介します。
【表紙】
佐伯矩先生は、日本栄養学界の、極めて優れたる先駆者である。その研究は世界の栄養学界に一大センセイションを捲き起し、先生の教えを受けた栄養士達の数は非常に多く、日本全国の、官庁、学校、会社、その他食べ物に関するあらゆるの部所で、力強い活躍をしている。
栄養という言葉そのものも、先生の創られたものであるというから、正に栄養学界の神格的存在といわねばなるまい。
かつて日本に滞在していたドイツのエドガー・ライタをいう新聞記者は、゛佐伯博士は世界の栄養学の先駆者になれるが、しかし日本の先駆者にはならない。同博士の運命は偉大なる日本人の運命である〟と先生の偉大さを全世界に向かって賞讃した。
【表紙 裏の広告】
※ 当時、白米による「脚気」予防でしょうか?
エドガー・ライタは、その著書ザ・マーチ・オブ・ジャパンで、佐伯矩先生のことを、大要次のように述べている。
日本では・・・夜の帷(とばり)がおりる頃になると、おのおのの家は一様に閉ざされる・・・。すると・・・世界のどこにも見られないような、美しい情景が描き出されてくる。日本独特の障子というものが、その情景描写にすばらしい効果をもたらすのである。家族の姿が・・・畳の上で遊んでいる子供の姿などが・・・、障子にうつる。その映像は黒一色であるが、さまざまな動作のままうつし出される。光りと紙(白)によって、日本人の生活が、これほどロマンなものに描写されるというのは、日本ならでは見られぬこと・・・。殊に、茅葺きの家などもあっては、一層きわだって美しいものに見える。・・・これは日本の散文詩だ・・・。恰(あたか)も十八世紀の影芝居でも見るようである・・・。
今日の紹介はここまで。原文に近い形で書いています。佐伯先生の話は、まだ出てきませんが、当時の日本の生活様式が垣間見える気がします。
続きは、またね・・・